【フェルマーの最終定理】現実が小説を超えた奇跡の1冊

3 以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせは存在しない

私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。

ピエール・ド・フェルマー(1607〜1665)

➖ そして350年間もの長きに渡ってこの謎は数学界に君臨し続けることとなる ➖

『フェルマーの最終定理』はこの世の奇跡を体現している。

数学の奇跡を体現している。

歴史の奇跡を体現している。

人の持つ情熱の奇跡を体現している。

全ての奇跡が奇跡的な可能性で巡り会い、その集大成として体現された奇跡のような作品。

それが『フェルマーの最終定理』だ。

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フェルマーの最終定理とは?

ピエール・ド・フェルマーは3世紀半前に生きた数学者である。

パスカル、デカルトと同時代に生き、特に数論の分野において多大な功績を残した彼は今日「数論の父」と呼ばれている。

そして、そんな彼を殊に有名としているのが冒頭に記した命題、俗にいう「フェルマーの最終定理」だ。

フェルマーの死後、残された書物の中から48の命題が発見された。

後世の数学者たちによってそのうちの47の命題は証明または反証が成されたが、最後に残された1つはその後長きに渡って数学界最大の謎として君臨し続けることとなる。

「3 以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせは存在しない」

彼はこれを証明したと書き残してはいるが「余白が足りない」としてその詳細は書かれてはいない。

そして3世紀半。

実に3世紀半もの長きに渡ってこの命題が証明されることはなかった。

一見とても単純に見える、それこそ中学生でも理解できるであろうこの命題に一流の数学者たちが挑み続け、誰一人証明することができなかったのだ。

ある一人の天才が現れるまでは。

アンドリュー・ワイルズによる証明

「天才」とひと言で片付けてしまっては彼に対してあまりにも失礼であろうか。

彼の成した偉業は彼の情熱によるものなのだ。

アンドリュー・ワイルズは1953年のイギリスに生まれた数学者だ。

少年時代にフェルマーの最終定理に出会いそれに魅せられたワイルズは、いつか必ず自分がこの命題に終止符を打つのだと誓い数学者としての道を歩み始める。

そして、1993年。

数学の研究者となり多くの実績を残してきたワイルズは、自身の担当するケンブリッジ大学の講義において突如としてその証明を始める。

事前にそれが「フェルマーの定理の証明」であると明言されていたわけではない。

当初は講義を受けている学生たちもそれが何の証明であるのか分からなかった。

7年もの間、彼は秘密裏にその証明に取り組んでいたのだから。

しかし噂が噂を呼び、3日間に及ぶその講義には多くの数学者たちが押し寄せてくることとなる。

ついに伝説に終止符が打たれる時が来たのだ。

まるでドラマのような話ではないか。

だが、このドラマはここでは終わらない。

その後の精査においてワイルズの証明の一部に致命的な欠陥があることが発見されたのだ。

この修正に難航したワイルズは「せめてなぜ自分が失敗したのか知りたい」と、自らの失敗の理由を探す、ある種敗北宣言とも言える研究を続けていた。

そしてある日、それこそ天啓のように新たなアプローチが彼の脳に降って湧いた。

1994年10月に発表されたそのアプローチによる新たな証明はその後の精査を経て、1995年2月13日、ようやく認められることとなる。

3世紀半もの間、誰も解くことのできなかった数学界最大の謎がついに解明されたのだ。

著者サイモン・シンと翻訳者青木薫の力量

この本を読むに当たって読者は数学の知識を必要としない。

世界一難解な数学の定理にまつわるこの物語を、ここまで見事にまとめ上げた著者であるサイモン・シンの力量には脱帽のひと言である。

「本を読むことの面白さ」を思い出させてくれる全く見事なその文章には背筋の震えるような快感さえ覚える。

そしてその文章の魅力を余すことなく体現してくれた翻訳者、青木薫氏にも最大限の賛辞を送りたい。

余韻としての謎が物語をより美しくしている

ワイルズの証明には同時代に新たに構築された数学理論がふんだんに使われている。

情熱を持った天才ワイルズがこの時代に生まれたからこそ証明できた命題であるとも言える。

まるで仕組まれたかのように全てが繋がっていくその様はある種の数式のようでさえある。

だとすれば、3世紀半もの昔に生きたフェルマーがそれを証明できたというのはいささか信ぴょう性に欠ける話ではないか。

しかしここで付記しておきたいのが、フェルマーが残した48の命題にはそれぞれ「証明できた」あるいは「予想する」というひと言が添えられており、のちの数学者によって例外なく、前者は証明され、後者は反証されているのである。

そして、ただ一つ最後の謎として残った最終定理にもフェルマーは「証明できた」と書き残しているのだ。

フェルマーは全く別の手法によってその証明に成功していたのか。

それとも彼自身の勘違いなのか。

あるいは、後世の数学者に対するフェルマーのちょっとしたいたずら心か。

いずれにせよ謎は残る。

そしてその謎がこの物語をより美しいものとしている。